スイートポテト
健康ライフ
運動は続ける自身がないので、その分食事に気を配っています。体にいいと知って以来豆乳(無調整)とゴマは毎日とっています。豆乳はカフェオレにしたりココアにしたり、ゴマは料理に使う他、イリゴマをちょっとお腹がすいた時にスプーンでそのまま食べています。豆乳とゴマ生活のおかげで、仕事をしても疲れにくく、体がよく動けるようになりました。ゴマは美容にもいいのか、なにもつけなくても一年中肌の調子がいいし、髪も以前よりツヤツヤになりました。豆乳もゴマも買いやすいのでおすすめしたいです。
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ラヴリィ・ウォンバット
人生大事なものはたくさんありますが、なにをするにも健康が一番ですよね。そう思って、運動嫌いな自分ですが、ほぼ毎日午前中は筋トレを頑張っています。おかげで(だと思うのですが)ここ数年、歯科以外病院に行く事はありません。食事ではタンパク質をしっかりとること、野菜を忘れずとることを意識しています。おやつはあまりよくないかなと思いながらも、和菓子、洋菓子、スナック菓子も大好きで、果物も大好きなので食べてしまいます。好きなものは我慢しすぎるとかえってよくないと自分で納得しています。
あっき~な
昨年の夏、父が入院し介護が必要となりました。その際、母と過ごす時間が増え、異変に気付き病院に連れて行くと認知症と診断されました。デイも百歳体操も嫌がり、家に閉じこもる母。父もリハビリを嫌がる時があると病院から言われました。二人を見ていて感じることは、何か目標がなくただただ年をとり日々を過ごしていたことは、病になった時もをそれを乗り越えようと思えない様です。私は何事にも目標を持ち、前向きに取り組むように心掛けています。
矢車草
毎日6000歩を心がけています。さいわい近くにウォーキングコースがあり、川に沿って歩いていると、小鳥をみたりしてリフレッシュできます。時に「かわせみ」「イタチ」などの珍しい生き物にも出会います。これからも自然の美しさを守っていきたい。
らいらい
健康を考えてという程ではないけれど、家族の為に朝は野菜をたっぷりと豆腐入り味噌汁に卵を必ずひとつおとしてます。腎臓に病気のある息子にはトマトジュースをコップ一杯、土日以外の仕事の日は毎日飲んで出勤してます!
運動は夕食後のウォーキング、友だちと二人で結構な早歩きで30分位!! 今の季節はホタルが田んぼや川端をゆらりと光ってますよ。
浜っ子
93歳になりました。幸い元気にして暮らせていて感謝です。長い間60歳位からでしょうか。朝晩の体操、散歩、10月~5月まで乾布摩擦、脳トレドリル、新聞をしっかりと読み、小社会の書き写しを続けています。老人大学へも月2回、高齢者学級と今は続けています。令和4年までサークル元気塾、ミュージックペル等もコロナウィルスで閉会しました。
ピース
高知県主催の『いきいき健康チェック』に4年前から3年間参加しました。『歩く』を万歩計を買って実行し、必ず1日に6000歩以上歩き、いつの間にか習慣になりました。今年お休みしますが、来年はまた参加したいと思っています。歩くことの大切さをしみじみ感じながら、いつか人間は歩けなくなる日が来る…という事も分かっているので、それまではしっかりと自分の足で…と思っています。
まりまり
美魔女の方々がお白湯をよく飲んでおられるそうです。私もあやかって毎朝いただいております。効果のほどは不明です。 「自動車を洗うとき、お茶やコーヒーで洗わないでしょ?だから人間の体にも色の味のついていない水分が必要なの!」だそうです。そして「冷たいものより暖かいものがさらに良いのでお白湯」になるのだとか。
たんぽぽ
主人の家系が糖尿病の人が多かったので食事には気を付けて生活し高齢ですが元気です。いつまでも元気でいようで散歩・体操し、私は趣味の教室を2つと町の企画の体操月2回と忙しくも楽しい日々の毎日です。認知予防にもと出掛けることを楽しみに人との会話を楽しみに、テレビ・新聞に目を通して、出掛けるようにしています。
いもむし
私のメンタルヘルスには「物語」です。 ドラマ、本、マンガ、心に潤いがでることはもちろん、気持ちの切り換えにもいいです。ドラマを通じて素敵な俳優さんにもトキメいています。
ぴの
私の健康ライフ
高知のつばめ
忘れられない言葉
夫の母の言葉 義母が入院していた頃、お見舞いに行った時、「家で焼き芋を食べておいしかった」と嬉しそうに「感謝してます」「ありがとう」と毎回言っていた言葉を思い出します。12年前の事です。
なでしこ
「三年間なんてアッと言う間だぞ、心してガンバレヨ!!」
今も忘れられない、兄のひとことでした。
おもち
忘れられない言葉というより「忘れられない会話」ですね。 父や祖父と最後に話したことが忘れられないです。 父は朝の「おはよう!」祖父は優しい声で楽しそうに「(ひ孫の名前)ちゃん、かわいいねぇ。」 思い出すと、もっと話せばよかったと後悔ばかりです。 人間だれしも最後がいつ訪れるかわからないので、後悔のないように子どもたちにはいつも「大好き」を伝えています。
いつまで伝えれるかな…(笑)
ガーベラ
5月の連休に帰省した18歳の息子。 高校生活では多感な頃、不機嫌な様子でした。大学生になりよほど楽しかったのでしょう、畳に寝ころび「今が一番幸せやー」と一言言いました。それから6月に突然旅立ちました。あの日はかけがえのない一日となり、別れの言葉となりました。
立花
子どもが小学校の頃までは、家族でよくキャンプや旅行に行っていました。ある時資金が乏しく、夏休みを利用しての旅行に行こうかどうしようかと迷っていると、小学1年だった長男が「お母さん、お金も大事やけど思い出はもっと大事やで。」と言った言葉にハッとなりました。幼い2人の息子たちとの思い出づくりが大切だと、大人になってからでは取り返せない時間を精一杯一緒に過ごしたいと初心に返った忘れられない言葉です。
思春期時の娘の言葉です。
「お母さんが居てくれてよかった!!」
学校での友達関係などで悩んでいた時に、そっと見守ることしか出来なかった私でしたがそれがよかったのでは…と今も心に残っています。
オルレア
何があっても趣味がいっぱいあって良かったね。だって逃げ道があるものねって尊敬する友人のアドバイス。 自分達だけが人間だと思っていた姑が90才を過ぎたころ(4~5年前)自分の子どもより私の事を認めて亡くなった事が救いでした。
クラブチーママ
色々あって落ち込んでいた時、「何があっても応援しているからね」と母にもらった手紙。 バーベキューを庭でしていて、息子から「おれたち、おっかぁのこと大好きやけ、なにかあったら話しに来いよ」等、時々かけられる言葉に「いい家族だな~」と毎回納得! 幸せ、感じています。
いっちゃん
『感激なき人生は空虚である』 私が高校三年生の時(もう半世紀以上前のこと)恩師から贈られた言葉です。その言葉を大切に感激ある人生を送りたいと時々思い出していましたが、最近忘れかけていました。今回生協さんの4月のテーマで思い出しました。私の好きな言葉です。
夫からです。「決めるのは自身」 会社からの雇止め、病気、手術と続けざまでしたので、冷静に将来どう生きるかを考えていた時、会社に勤めるよりも自分で事業を行うことに気持ちがかたむいていました。しかし、生活できるか、本当にフリーで生きていけるか、不安もありなかなか一歩が踏み出せずにいました。その時に夫からもらった一言です、“でも”“でも”と不安しか言わない私の背中を押し、「やるぞ」と決められました。
私の子ども婿、嫁、孫と嫁、孫の友達 元気でいてね。じいちゃんばあちゃんの待ってくれるここが好き 楽しみにしているよ
ななちゃん
大好きだったおばあちゃんが亡くなったのが春でした。もう20年以上も前ですが、おばあちゃんのことはよく思い出します。入院中に外泊の許可が出て、家で過ごし、病院へ戻る時に「ありがとうお世話になったね。」と言いました。その時は外泊中の事を言っていると思いました。それから退院できずに亡くなってしまいました。後になって、あの時の言葉は今までのお礼を言っていたのかなと…。 こちらこそ、大好きなおばあちゃんの孫に生まれてきて本当に良かった。ありがとうお世話になりました。
ひろ子
高岡校宇佐分校の定時制(夜の部)の4年生の時(昭和30年12月)もう学校をやめようと思い休んでいた時、同級生の女友達が「クリスマスがクルシミマスになるからぜひ学校に来る様に」と手紙ではげましてくれました。1時間近くの田舎道をローンを払い乍らの自転車で通い、男子4人女子3人で卒業式を本校(高岡高校)ですることができました。現在86才ですが、一番仲が良く、電話でよく話をします。彼女の励ましがなかったら中退していたと思います。
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