立花
忘れられない言葉
子どもが小学校の頃までは、家族でよくキャンプや旅行に行っていました。ある時資金が乏しく、夏休みを利用しての旅行に行こうかどうしようかと迷っていると、小学1年だった長男が「お母さん、お金も大事やけど思い出はもっと大事やで。」と言った言葉にハッとなりました。幼い2人の息子たちとの思い出づくりが大切だと、大人になってからでは取り返せない時間を精一杯一緒に過ごしたいと初心に返った忘れられない言葉です。
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ピース
思春期時の娘の言葉です。
「お母さんが居てくれてよかった!!」
学校での友達関係などで悩んでいた時に、そっと見守ることしか出来なかった私でしたがそれがよかったのでは…と今も心に残っています。
オルレア
何があっても趣味がいっぱいあって良かったね。だって逃げ道があるものねって尊敬する友人のアドバイス。 自分達だけが人間だと思っていた姑が90才を過ぎたころ(4~5年前)自分の子どもより私の事を認めて亡くなった事が救いでした。
クラブチーママ
色々あって落ち込んでいた時、「何があっても応援しているからね」と母にもらった手紙。 バーベキューを庭でしていて、息子から「おれたち、おっかぁのこと大好きやけ、なにかあったら話しに来いよ」等、時々かけられる言葉に「いい家族だな~」と毎回納得! 幸せ、感じています。
いっちゃん
『感激なき人生は空虚である』 私が高校三年生の時(もう半世紀以上前のこと)恩師から贈られた言葉です。その言葉を大切に感激ある人生を送りたいと時々思い出していましたが、最近忘れかけていました。今回生協さんの4月のテーマで思い出しました。私の好きな言葉です。
あっき~な
夫からです。「決めるのは自身」 会社からの雇止め、病気、手術と続けざまでしたので、冷静に将来どう生きるかを考えていた時、会社に勤めるよりも自分で事業を行うことに気持ちがかたむいていました。しかし、生活できるか、本当にフリーで生きていけるか、不安もありなかなか一歩が踏み出せずにいました。その時に夫からもらった一言です、“でも”“でも”と不安しか言わない私の背中を押し、「やるぞ」と決められました。
たんぽぽ
私の子ども婿、嫁、孫と嫁、孫の友達 元気でいてね。じいちゃんばあちゃんの待ってくれるここが好き 楽しみにしているよ
ななちゃん
大好きだったおばあちゃんが亡くなったのが春でした。もう20年以上も前ですが、おばあちゃんのことはよく思い出します。入院中に外泊の許可が出て、家で過ごし、病院へ戻る時に「ありがとうお世話になったね。」と言いました。その時は外泊中の事を言っていると思いました。それから退院できずに亡くなってしまいました。後になって、あの時の言葉は今までのお礼を言っていたのかなと…。 こちらこそ、大好きなおばあちゃんの孫に生まれてきて本当に良かった。ありがとうお世話になりました。
ひろ子
高岡校宇佐分校の定時制(夜の部)の4年生の時(昭和30年12月)もう学校をやめようと思い休んでいた時、同級生の女友達が「クリスマスがクルシミマスになるからぜひ学校に来る様に」と手紙ではげましてくれました。1時間近くの田舎道をローンを払い乍らの自転車で通い、男子4人女子3人で卒業式を本校(高岡高校)ですることができました。現在86才ですが、一番仲が良く、電話でよく話をします。彼女の励ましがなかったら中退していたと思います。
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がっぱちゃん
子育てにつかれきった時、先輩に言ってもらったひとこと 「自分を信じる心、相手をまつゆうき」 このひとことで私は頑張ってこれて63才を生きていると思う今日このごろです。 明日希望をもってかわいいばばになりたいです。
MiMaMin
「じゃあね」
嫁に出た娘の一言!!!
さんちゃん
南海トラフ地震に備えて家族で決めていること
最近、全国的に地震が多いですね。来る来ると言われ続けている南海トラフ地震の前に地震が来ないと言われている県に大地震が続いていることに、私たち住んでいる場所はもっと大きな地震が来るのかもと不安になってしまいます。 子どもたちも独立の年頃なので、自分の事は自分で出来るようにと、特にすごい事は考えていません。自宅で地震にあったら避難場所はどこそこ、連絡はスマホで、災害用伝言ダイヤルで、というくらい。後は家のなかにある備蓄で生き永らえよう、くらいです。
むぎごはん
南海トラフに備えて
忘れな草
一人暮らしなので、家族で決めていることはありません。が、寝ている部屋には懐中電灯とスリッパ(本当は靴が良い)お風呂場や通路にも懐中電灯を、そして居間には非常持ち出し袋と水3Lを置いています。車の中にはコンパクトな持ち出し袋を入れています。固定できる家具は固定していますが全部ではありません。耐震工事もしてもらいましたが、地震がおこりませんようにと願っています。
ちいまま
いつどこでおこるかわからないので、伝言ダイヤルを使うことを家族で決めています。あとは亡くなった義父から「逃げるなら田んぼへ走れ!」と言われています。 まだまだ備えは足らないと思うので、準備していこうと思います。
竜
我が家は一戸建て。すぐ後ろが山になっていて、2階が寝室なので、夜中の場合、揺れたらすぐに屋根から山に逃げます。いつも靴をベッドのそばに置いています。
いずみん
いつも家族が一緒の場合ばかりではないので、子どもも結婚してバラバラなので携帯のGPS機能を活用して現在地をシェアしています。動く揺れた後は、高台へ逃げる事を決めています。
だんご3兄弟
我が家は、万が一動ける時はとにかくその場からできるだけ高い所へ避難すること、そして橋が壊れて会えない時は、一つの手段としてNTTの伝言ダイヤルにて無事な事を入れて、LINEが使えるようになればそれで連絡を取り合うように話し合っています。もし、母(私)に何かあっても大丈夫なように非常食も備蓄して、子どもたちに保管している所を教えてあります。できることなら来てほしくないし、もしきたとしてもみんなが無事であることを祈りたいです。
なでしこ
取り敢えず小学校に避難するようにしていますが、何分右手足が不十分で手助けが必要です。どうなることやら…、家族が来てくれるまでどうしようもないです。
高齢者二人となり ①この場から離れる、避難場所へ行く ②余裕があれば避難バッグを背負う 夜でないことを願います。そして自分たちが自力で逃げ出す事が出来る事を願い体操をして体を動かす掛け声を続ける。
けいちゃん
令和6年1月1日、能登半島でおこった地震。東日本、神戸淡路、熊本他地域で発生している。他人ごとではない!とまだまだ安気なところもあり、買いだめしててもあちらこちらに置き、水も食材も賞味期限が切れたりと!この際だから大事な薬、ティッシュ、充電器、ラジオ、食材、簡単にできるトイレ用品、備品を買うようになりました。生協さんで買っています。足腰が弱くなって歩行困難です。自分の身体は自分で守るべきで、必要以上に人の手を借りずにすぐに持ち出せるよう用意しています。海辺なのでとても心配です!
むむママ
我が家は子どもたちが小学生の頃から災害時、どこにいても ①各自その時一番高い場所に逃げる ②災害後、落ち着いて、お互い無事であればその地の災害本部に〇時に必ず行く ということを確認しあっています。
ストローハット
災害に備えて水や缶詰は備蓄していますが、自宅に居ることを想定しているので、外にいる時の連絡など話しておく必要があると感じています。
み~ちゃん
家族がバラバラでそれぞれが別の場所で、南海トラフ地震が来た時に、何日経とうが何カ月経とうが、絶対にここで集まろうという場所を決めています。被害が出来るだけないところで、基本的には一カ所。火災などで焼け野原状態とになっていた場合は、もう一カ所の所へ集まる事にしています。年に一度は確認し合っています。時々一人だけ違う場所になっている時もあるので、確認し合うのは大切です。
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