ひろ子
忘れられない言葉
高岡校宇佐分校の定時制(夜の部)の4年生の時(昭和30年12月)もう学校をやめようと思い休んでいた時、同級生の女友達が「クリスマスがクルシミマスになるからぜひ学校に来る様に」と手紙ではげましてくれました。1時間近くの田舎道をローンを払い乍らの自転車で通い、男子4人女子3人で卒業式を本校(高岡高校)ですることができました。現在86才ですが、一番仲が良く、電話でよく話をします。彼女の励ましがなかったら中退していたと思います。
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ななちゃん
大好きだったおばあちゃんが亡くなったのが春でした。もう20年以上も前ですが、おばあちゃんのことはよく思い出します。入院中に外泊の許可が出て、家で過ごし、病院へ戻る時に「ありがとうお世話になったね。」と言いました。その時は外泊中の事を言っていると思いました。それから退院できずに亡くなってしまいました。後になって、あの時の言葉は今までのお礼を言っていたのかなと…。 こちらこそ、大好きなおばあちゃんの孫に生まれてきて本当に良かった。ありがとうお世話になりました。
高知のつばめ
夫の母の言葉 義母が入院していた頃、お見舞いに行った時、「家で焼き芋を食べておいしかった」と嬉しそうに「感謝してます」「ありがとう」と毎回言っていた言葉を思い出します。12年前の事です。
たんぽぽ
私の子ども婿、嫁、孫と嫁、孫の友達 元気でいてね。じいちゃんばあちゃんの待ってくれるここが好き 楽しみにしているよ
あっき~な
夫からです。「決めるのは自身」 会社からの雇止め、病気、手術と続けざまでしたので、冷静に将来どう生きるかを考えていた時、会社に勤めるよりも自分で事業を行うことに気持ちがかたむいていました。しかし、生活できるか、本当にフリーで生きていけるか、不安もありなかなか一歩が踏み出せずにいました。その時に夫からもらった一言です、“でも”“でも”と不安しか言わない私の背中を押し、「やるぞ」と決められました。
いっちゃん
『感激なき人生は空虚である』 私が高校三年生の時(もう半世紀以上前のこと)恩師から贈られた言葉です。その言葉を大切に感激ある人生を送りたいと時々思い出していましたが、最近忘れかけていました。今回生協さんの4月のテーマで思い出しました。私の好きな言葉です。
クラブチーママ
色々あって落ち込んでいた時、「何があっても応援しているからね」と母にもらった手紙。 バーベキューを庭でしていて、息子から「おれたち、おっかぁのこと大好きやけ、なにかあったら話しに来いよ」等、時々かけられる言葉に「いい家族だな~」と毎回納得! 幸せ、感じています。
オルレア
何があっても趣味がいっぱいあって良かったね。だって逃げ道があるものねって尊敬する友人のアドバイス。 自分達だけが人間だと思っていた姑が90才を過ぎたころ(4~5年前)自分の子どもより私の事を認めて亡くなった事が救いでした。
ピース
思春期時の娘の言葉です。
「お母さんが居てくれてよかった!!」
学校での友達関係などで悩んでいた時に、そっと見守ることしか出来なかった私でしたがそれがよかったのでは…と今も心に残っています。
立花
子どもが小学校の頃までは、家族でよくキャンプや旅行に行っていました。ある時資金が乏しく、夏休みを利用しての旅行に行こうかどうしようかと迷っていると、小学1年だった長男が「お母さん、お金も大事やけど思い出はもっと大事やで。」と言った言葉にハッとなりました。幼い2人の息子たちとの思い出づくりが大切だと、大人になってからでは取り返せない時間を精一杯一緒に過ごしたいと初心に返った忘れられない言葉です。
MiMaMin
「じゃあね」
嫁に出た娘の一言!!!
ガーベラ
5月の連休に帰省した18歳の息子。 高校生活では多感な頃、不機嫌な様子でした。大学生になりよほど楽しかったのでしょう、畳に寝ころび「今が一番幸せやー」と一言言いました。それから6月に突然旅立ちました。あの日はかけがえのない一日となり、別れの言葉となりました。